「奨学金破産」が親族連鎖する現実から考えるべきこと

朝日新聞が2月12日と15日、16日と奨学金破産の問題を報道しました。

奨学金破産のべ1.5万人~5年で半分 親族連鎖招く~(2月12日 朝日新聞朝刊)

父にのしかかる娘の負債 親族に迷惑ふみどとまる(2月15日 朝日新聞朝刊)

「父さん ごめん 親子共倒れ」(2月12日 朝日新聞朝刊)

奨学金受けた息子亡くし8年、夫婦に265万円の督促状(2月16日朝日新聞朝刊)

「大学進学して、よりいい職を得て、豊かに暮らしたい」という思いで進学した大学が、私たちを豊かにするどころか、豊かさを収奪するという皮肉な事態が、見過ごせないほど起こっていることを浮き彫りにしました。

この記事は「奨学金の取り立てが厳しい」ことを問題視する構成でしたが、貸したお金を返してもらう事務手続きが、よりシステマチックに正確に行われるようになったというだけで、独立行政法人日本学生支援機構(JASSO)が責められるべき点はありません。実際は借金なのに奨学金という名で安易に貸し付け、借り手もその認識で借りてきたことが、こうした悲劇の背景です。

ただしかし、このことで安易に、大学の学費無償化や給付型奨学金の充実という解決策に流れてはいけません。大学は、これまで学費の高騰を止めることはできませんでした。文部科学省も、増やしぎてしまった大学へ、補助金を抑制してきたことに加え、大学側も学生を集めるための広告費などの運営費の増大をすべて学生に学費として転嫁してきたわけです。大学のテレビCMや電車や地下鉄での大々的な広告をみることが多くなりましたが、それは学費が教育の充実に使われているのではなく、それ以外のところにお金が使われていることを示すものです。

せっかくかけた高い学費も、成長につながらない劣化した教育にしかならければ、元も子もないもありません。

立ち返れば、「大学に行かないといい仕事につけない、豊かになれない」という高度成長時代に生み出された考えに発端があります。ここを見直して、ほんとうに若者たちの能力を引き出す環境とはいかなるものか、から考え直すべきです。

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