いま私が、もし18歳だったら ー 青少年期のキャリア形成を応援する、教育の実践者:山中昌幸(NPO法人JAE会長・ファウンダー)

(18歳当時の写真、右から2番目が山中氏)

1990年ー私の18歳

18歳(高校3年生)の時の私は、『将来』もっと言えば『生きていくこと』に希望を持てるようになった頃でした。

当時の状況については、中学時代の生活から説明するとわかりやすくなります。

親が転勤族だったので、あちこち全国の学校を転校しながら暮らしていたのですが、中学2年・3年を過ごした学校でいじめにあったんです。いわゆる『転校生いじめ』がひどい学校でした。

なんとか学校には通っていたものの、勉強ができるような状態ではなくて、高校受験の時にも実力テストのようなものは一切受けませんでした。

自分自身について、『落ちるところまで落ちたな・・』という印象を持っていましたよ。

中学から高校に上がるタイミングでも親の転勤があり、東京に引っ越すことになりました。
そのとき親が持ってきてくれたのが全寮制高校のパンフレット。
定時制か、その学校か。選択肢は絞られており、私は全寮制の高校へ進学しました。

この高校がなかなかすごい環境で、漫画にでもなりそうな、東京中の悪が集まっているのではないかという雰囲気の学校でした。
1年奴隷、2年人間、3年神様、なんていわれていて、まさにその通りに先輩・後輩のヒエラルキーがありましたよ(笑)。

ただ、一概に悪い環境だったわけではなく、私はこの高校で将来への夢や希望を見つけることができたんです。

きっかけは1年生からの担任の先生でした。

世の中にいる面白い大人のことをたくさん紹介してくれるような先生で、ロングホームルームを度々開いては、今でいうキャリア教育のようなことをおこなってくれました。

魅力的な大人が載っている新聞記事を持ってきて話してくれたり、立花隆の“青春漂流”という本のなかで紹介されている自転車のフレームをつくるイタリアの大人について語ってくれたり・・。

心に残るテーマが多くて、今でもよく覚えているんです。

先生の話を聞いているうちに、
(あぁ。世の中にはこんなに面白いことをしている大人がいるんだなぁ)と、だんだん将来に目を向けることができるようになりました。

意識が変わり始めると、何かをがんばりたくなる。

それまで全てに対して無気力であっても、です。

将来の夢がすぐにはっきり見えたわけではなかったのですが、とにかく目の前の部活と勉強を一生懸命がんばってみたくなりました。
それからは、柔道部のキャプテンになるとともに、学業の成績もみるみる上がっていきました。
もともと何もしていないところからのスタートなので、気持ちがいいほどのびしろも大きいわけです(笑)。

やったらやっただけ成果が出ると、より一層自分に自信がつく。

自分の将来に希望が持てるようになったのはこの時期からです。

将来何がしたいのか考えた時、真っ先に頭に浮かんだのは教員でした。
(世の中に対して全く希望のなくなった自分を変えてくれた先生のように、今度は自分が、学生に貢献できる立場になりたい)。そう思いました。

私の18歳から現在

高校卒業後は、高校の教員を目指して大学へ進学。

教員になることに迷いは起こらず着々と準備を進めていたのですが、4年生で中国へ留学したことから方向転換を考えるようになりました。

中国で感じたことは大きく2つ。

それは、日本が物質的にかなり恵まれた国であることと、日本と違い中国にははっきりと将来の希望を持っている学生が大勢いるということです。

当時中国はまだまだ貧しく、駅を降りるとすぐにに20人ほどのストリートチルドレンに取り囲まれるような状況でした。生きるか死ぬかという中で毎日を暮らしている彼らを目の当たりにし、日本の豊かさを実感するとともに、(日本でならば、何かにチャレンジして仮に失敗したとしても仕事を選ばなかったら生きていくことはできるだろう)と吹っ切れてしまいました。

また、中国の学生が将来に向かって一生懸命頑張っている姿を間近で見ることで、将来に希望を持てない学生が多くいるという日本の“特殊さ”も実感しました。

中国の学生と日本の学生の違いを実感し、より一層、学生にいいきっかけを与えられる教育者になりたいという思いを強くした私は、日本でならば失敗しても生きていけると吹っ切れてしまったこともあり、高校という枠組みの中ではなく、自由な場所で本当に自分が理想とする教育をしたいと考えるようになりました。

これが、高校の教員という道は選ばず自分なりの教育環境をつくることを決意した背景です。

それから先は、実際に教育に携わる前に広い視野を持てるようになりたいという思いから、ワーキングホリデーを活用して海外の学生と交わったり、民間の企業で働く経験を積んだ後、29歳でNPO法人JAE(※1)を設立。小学生から大学生を対象にインターンのコーディネートをし、キャリア教育を実践してきました。

現在はファウンダー(創立者)理事としてJAEに携わるとともに、大学で地域連携人材のキャリア形成について調査研究をしながら、社会に実装するモデル構築に取り組んでいます。

今私が、もし18歳だったら

18歳の時の私は、ようやく将来に希望が持て始めた頃。自分に自信がない学生でした。

今私が、もし18歳だったら。。。

経験を積んで当時よりも自信がついていることから、行動の大きさは違うかもしれませんが、
それでもやっぱり、同じように教育の仕事を目指すのではないかと思います。

『若者に将来の夢を持ってもらいたい』という想いはずっと変わっていません。

教育に携わる前に経験を積みたいという気持ちも変わらないと思うので、20代は視野を広げるために大学へ進学したり海外へ行ったりして、30歳手前で何かをはじめるのではないでしょうか。

一方、当時と現在との大きな違いとしてネット環境が挙げられます。

今は情報が多くなった分、もしかしたら、迷うことも多くなっているかもしれません。

昔は自分の直感を信じて行動できていたような場面でも、調べたらすぐに正解がわかり、かつ多方面の情報が入ってくるからこそ、直感で動くことが難しくなった時代なのかもしれないと感じることがあります。

実は私の場合、中国を留学先に決めたのも、ほとんど直感のような感覚でした。

(珍しい国で、かつ、これから伸びる国に行きたいな)と考えながら道を歩いていた時、電柱にビラの張り紙がしてあり、そのビラが風に吹かれてはためいていたんです。その張り紙には『これからは中国が発展する!』と。それを見て、なぜか迷うことなく、「直感的」に中国行きを決断したんです。そして、その後の進路に大きな影響を与えられるような経験をして帰ってきました。

冗談のような話ですが、本当です。

今18歳を迎えているみなさんに伝えられることがあるとしたら、もう少し自分の直感を信じてもいいのではないかということ。

直感とは、ただの勘ではありません。

自分の琴線が震えるような感覚です。

電柱の張り紙はいい例ではありませんが(笑)、直感を感じられるほどに感覚を研ぎ澄ませ、「これだ!」と感じた時にはまずやってみる。

それくらい自分を信じて行動してもいいのではないかな、と思いますよ。


山中昌幸

NPO法人JAE会長・ファウンダー。
株式会社次世代共創企画代表。
大正大学地域構想研究所プロジェクトファシリテーター。

小学生から大学生、若手社会人までを含めた青少年期のキャリア形成に有効となる教育の実践的指導・研究者。2001年、当時国内では珍しいキャリア教育専門組織NPO法人JAEを立ち上げる。同法人は2012年に経済産業大臣賞、2013年に文部科学大臣表彰を受賞。

アスバシにも理事として発足当初より参画。

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※1. 2001年、 起業家精神を持った若者を輩出することを理念に山中が立ち上げたNPO法人http://jae.or.jp

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