いま私が、もし18歳だったらーバイト&遊び三昧の青春時代から「イクボス」の伝導士へ:川島高之(NPO法人コヂカラ・ニッポン 代表理事/NPO法人ファザーリング・ジャパン 理事)

(25才頃の本人の写真です)

「バイト・麻雀・テニス」の高校生活

僕はある大学の附属高校に入学したので、大学はエスカレーター式に入学できると思うと、高校生になってからはほとんど勉強しなくなってしまったんです。

部活も最初は入ったんだけど、嫌になってすぐ辞めました。思えば、小さい頃から誰かに命令されることが嫌いだったんです。小学生の時はリトルリーグでコーチから、中学時代も先生から厳しく指示されるような環境で。もう、これからは自分の好きなようにやりたいなって思ったんでしょうね。

勉強も部活もやらず、じゃあ高校時代は何をやっていたかっていうと、もう大学生みたいな生活をしていたんですよ。放課後には友達と麻雀を打って、休みの日はバイト。学校の近くのテニスコートを借りてテニスもしてましたね。渋谷で夜中まで遊んだこともあったし、ある意味早熟だったとも言えますね。

18歳の選択-祖父の一言で「厳しい道」へ

そんな風に遊びまくっていたんですが、高校3年を前にしてふと立ち止まった時期がありました。3年から「文系コース」か「理系コース」どちらに進むか選ばないといけないとなった時です。

文系に進めば経済学部とか商学部、法学部とか。理系なら理工学部とか医学部ですよね。でも、当時の僕はどの学問にも興味がなくて。噂で聞いていたことだと、文系の学部の方がそれほど出席も単位も厳しくないぞと。それに比べて理系の学部は実験も課題も多くてすごく勉強しなきゃいけない。高校3年のことを考えても、医学部を目指す人たちと同じクラスになるわけだから授業もハードなのは間違いない。

でも、そこで僕は迷ったんです。大学生になっても、このまま遊んでばかりの4年間でいいのか?と。

高校2年の終わり頃に、祖父にこの話をしたら「迷ったら、厳しい方に行け」と。祖父は昔の人だったけれど、まったく僕ら家族にも家の外の人にも全く威張ったところがなくて。知的で、寡黙で優しい人で、僕はすごく尊敬していました。だからもう、その一言で理系に進もうと決めたんです。

その後-ビジネスでも生きる「理系」の考え方

大学は理工学部に進学しました。同級生は卒業後、ソニーとかパナソニックみたいなメーカーか、大きな生産設備を扱うエンジニアリング会社に就職する人が多かった。でも、僕は金属や鉄鋼、エネルギー資源などを扱う商社に入りました。機械工学科でしたが、要は研究やものづくりではなくビジネスの世界に飛び込んだんです。

商社は世界中から莫大なモノやお金を集めて動かす、本当に厳しい世界です。

だから、商社マンというと世間では体育会系でパワフルな人を思い浮かべる人も多いと思います。体力と熱意でアフリカの奥地でもどこでも乗り込んで行って、お客様も取引先もエネルギッシュに巻き込んでいくような。特に僕らの世代は、実際そういう人も多かったです。

僕はそんなに根性のあるタイプではありませんでした。(笑)でも、大学の4年間、理系的な思考の中でどっぷり過ごしたわけです。物事を論理的に説明するとか、データを整理整頓して分析するとか、あるいは結論を仮定してそこから逆算して考えるとか、そういう考え方を学びました。それは難しい交渉の場面で強い武器になりましたし、ビジネスの現場でとても役立ったんです。理系の学問が特別に好きだったわけではないんですけど、大学時代に必然的に身に付いた思考法が、結果としてビジネスマンとしての僕の個性にもなりました。

その後、商社の関連会社で社長を任せてもらったりしながら、並行して家事や子育て、子どものPTA活動にも取り組みました。仕事以外の活動を通じて「お父さんがもっと子育てに積極的になれる社会が大切だ」と思い「NPO法人ファザーリング・ジャパン」を立ち上げました。また、子どもの持っている力の素晴らしさに気づき、子どもの力を地域や社会で生かす機会を作る「NPO法人コヂカラ・ニッポン」でも活動しています。

また、経営者や管理職時代に心がけてきたことを「イクボスの定義と10か条」としてまとめところ、NHKのクローズアップ現代で“元祖イクボス”として特集され、いまは、イクボスについて全国各地で講演をするようにもなりました。

昔の男性は夜も昼もなく仕事一筋に徹底的に働くことが良いとされてきましたが、今はそんなことないですよね。ヨーロッパでは首相も育児休暇を取りますし、世界で活躍している人ほど育児やボランティア活動にも力を注いでいます。

だからなおのこと、努力と根性で切り抜けようという昔の日本のようなやり方だけでは難しくなってきている。仕事も家庭も地域活動もと思ったら、たくさんの情報の中から何が大切かを冷静に判断して、限られた時間でどれも大切にできるよう、合理的に物事を進めていく力は本当に重要なんですよね。

もし私がいま18歳だったらどんなキャリア選択をするか

今18歳だったら、きっと自分で会社を作っているだろうと思います。というのは、実は大学時代に会社を作ったことがあるんです。当時は若い人がスキーに行くのが流行っていたので、友だちと一緒にスキーツアーを企画・運営する会社を起こしたんです。パンフレットを作って女子大の前で配ったりして。でも、ものの見事にすぐ潰れちゃったんですけどね。(笑)

40年くらい前でさえそうだったんだから、若い人が起業にチャレンジしやすい環境が整っている今なら、やっぱりきっと何か会社を起こしていると思います。そしてまた、すぐに失敗しちゃうと思います。(笑)大学生時代の僕は、親や周りにさんざん反対されたけど会社を作って、あっけなく撃沈してしまった。でも挫折を通して得たものはたくさんあったんですよ。

子どもや若い人たちの、既成概念にとらわれない想像力や創造力にはとんでもない力があると思っています。でも、それはダイアモンドの原石みたいなものだから、それだけでは売れないし、上手くいかない。

対して、僕たちのようなおじさんは、かつて若い頃には持っていたはずの力を、タンスの奥にしまって出せなくなっちゃったような状態なんです。そんなおじさんたちばかりが会議室にこもって議論しても、いいアイデアは出てこないですよね。

僕らの役割は、斬新な発想力はあるけど社会経験は少ない、若い人たちが自ら原石を磨いて輝きだせる場所や機会を提供することだと思っています。

今の18歳のみなさんへのメッセージ

今はスマホもあるし、高校生でも世界中のいろんな情報にすぐにアクセスできるようになっていますよね。でも、実際には僕の高校時代よりもみんな窮屈そうにも見えます。せっかく情報があっても自分から取りに行かないで、ニュースフィードを眺めているだけではつまらないし、せっかく便利なツールがあっても友達とのやりとりだけに閉じていたら行き詰っちゃいますよ。

18歳の皆さんに伝えたいのは、とにかく実際に体験してみることですね。ニュースや外国の情報を100本読むよりも、一回海外旅行に行く方がはるかに得られるものは大きいでしょう。目で見て、耳で聞いて、その土地ならではの空気を肌で感じて、食べたことのない料理の味や香りを楽しんで…五感をフルに使って初めて腹に落ちることってあるんですよ。インターネットで得られる情報で刺激されるのは、せいぜい視覚と聴覚くらいでしょう。やっぱりネットは補助的なツールであって、旅行でもバイトでも、起業でも留学でも恋愛でも、実際に自分の体を動かして行動することが一番だと思います。

川島高之

NPO法人コヂカラ・ニッポン 代表理事/NPO法人ファザーリング・ジャパン 理事

1987年:慶応大学卒業、三井物産に入社。2012年:系列上場会社の社長就任、利益8割増、株価2倍、残業1/4に。2016年:社長を退任しフリーに。 また、サラリーマン時代から、小・中のPTA会長、ファザーリング・ジャパン理事、コヂカラ・ニッポン代表など、複業をこなしてきた。 家事や育児(Life)、商社勤務や会社社長(Work)、PTA会長やNPO代表(Social)という3つの経験や視点を融合させた講演が年300回以上。 経営者や管理職時代に心がけてきたことを「イクボスの定義と10か条」としてまとめ上げ、NHK「クローズアップ現代」では“元祖イクボス”として特集され、AERA「日本を突破する100人」に選出された。 内閣府・男女共同参画委員、文科省・学校業務改善アドバイザー、横浜市・男女共同参画委員など(含む歴任)。著書「いつまでも会社があると思うなよ!」(PHP研究所)、「職場のムダ取り教科書」(ソシム)など。

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